夢を実現することは下山すること ― 2010/11/08 18:32
昨日、上月マリア先生の講演を聴きに行って来ました。
テーマは「夢を実現するということは山登りではなく実は下山です」
??? ええっ!そうなの!?
と思って、これは聴きに行かねば!と思い1年ぶりの拝聴でした。
人生とか夢に向かってのチャレンジって絶対「登山」!山頂に向かって上っていくイメージじゃないですか?
私は少なくともそう思い、これまで生きてきたのですが・・・
でも、この思考がそもそも困難の元だったのです。
登山って大変ですものね・・・
お話を聴いてしまえば、「全くそうよね、やだわ~私ったら今まで誰にだまされてきたのかしら?」というくらいストンと腑に落ちることでした。
だってそうですよ、重力がある限り、川は上流から下流へと流れ、リンゴは木から落ちるのです。それが自然なこと。
自然に逆らって登っていくのは産卵期の鮭くらいなものです。
詳しいお話はなかなか文字にして語れないというか・・・まだ感じている段階なのかもしれませんが、ひとつだけ皆様にお伝えしたいと思うことだけ書きますね。
それは「人は皆、生まれながらにして仏である」ということ。
人は仏として、全てを持ち合わせて生まれてくるのです。仏の住む場所は山の頂です。
富士山とまでいかなくても、スキーのゴンドラで山頂に登るのでもいいです。誰でも一度くらいは山頂から麓の景色を見たことがありますよね?
どうでしたか?
綺麗でしたよね?
山の上から見る景色は、海も林も街もビル群も全てがとっても綺麗に見えたと思います。
それが仏の視線。
そして、私達は皆、そうゆう気持ちで生まれてきてそうゆう視線で全てを見ていた。そのことを忘れない、時々思い出してください。
人として生きていく事は、山頂から麓まで一歩ずつ下山することに他ならないのです。麓は人間の世界。大人の世界ということです。
そこにはごみが散らかり汚れがこびりついた海や街があります。
でも忘れないでください、仏から見たら(山頂から見たら)そんな世界も全てが美しいのだということを。
「精神」という言葉があります。
身体の対になる心のことです。
「精」の字は、かつて「清」と書きました。
つまり、誰の心の中にも「清らかな神」が宿っているということ。
そのことをベースに生きていくと、今までよりもっと生きやすくなるのではないでしょうか?
夢の実現や成功に向かうまでには(これは下山している途中ということ)様々な事柄に出会います。
障害と思われる事もたくさんあるでしょう。
でもそれらはただそこにあるだけ、良くも悪くもないということ。
あなたはその障害を脇に逸らせることができそうならちょっと横へどけたらいい。大きすぎて重すぎて動かせそうになければあなたが回り道をすれば済むことです。
受け止め方によって生きやすさは変わります。
そうして目の前にあることをひとつひとつ、ただ誠意をもって対応するだけでよいのです。その繰り返しでいつの間にか私達は麓へ辿り着いているのです。それが夢が叶うということ。
ただ重要なのは夢や目標ははっきりと心に刻む事です。
どこに向かって下山しているのか、それだけをはっきりとさせておく、強く願う。それだけで良いのです。あとは清明心をもっていればかならず辿り着くのです。
すごくわかりやすく言うと、「トイレに行きたい!もれそう!」となったら、そこがたとえ初めて来た異国の地であっても、あなたはどうにかこうにかトイレを見つけるものでしょう?
たとえ途中で携帯が鳴って、全然関係ない話をしながらでもトイレを探し続けているでしょう。
本当に必要な事、強く想うということはそうゆう感じで実現するものなのです。
どうでしょうか?
やっぱり私からでは伝わりにくいかもしれないですね~
上月マリア先生にご興味をもたれた方は是非調べてみて著書の1冊でも読んでみてください。
ちなみにマリア先生、世が世なら「お姫様」です。古来からの名家のご令嬢で、幼き時より帝王学を学び、世界中の著名人とご交流のある方です。ローマ法王より福音書を授かった方でもあります。
はっきり言って住む世界の違う方ではありますが、ご本人曰く、「私はエレガンスな吉本系でございます」とのことです。
とっても気さくな、それでいてお目にかかるとやはりそれだけでこちらの背筋がピンとなる方です。
テーマは「夢を実現するということは山登りではなく実は下山です」
??? ええっ!そうなの!?
と思って、これは聴きに行かねば!と思い1年ぶりの拝聴でした。
人生とか夢に向かってのチャレンジって絶対「登山」!山頂に向かって上っていくイメージじゃないですか?
私は少なくともそう思い、これまで生きてきたのですが・・・
でも、この思考がそもそも困難の元だったのです。
登山って大変ですものね・・・
お話を聴いてしまえば、「全くそうよね、やだわ~私ったら今まで誰にだまされてきたのかしら?」というくらいストンと腑に落ちることでした。
だってそうですよ、重力がある限り、川は上流から下流へと流れ、リンゴは木から落ちるのです。それが自然なこと。
自然に逆らって登っていくのは産卵期の鮭くらいなものです。
詳しいお話はなかなか文字にして語れないというか・・・まだ感じている段階なのかもしれませんが、ひとつだけ皆様にお伝えしたいと思うことだけ書きますね。
それは「人は皆、生まれながらにして仏である」ということ。
人は仏として、全てを持ち合わせて生まれてくるのです。仏の住む場所は山の頂です。
富士山とまでいかなくても、スキーのゴンドラで山頂に登るのでもいいです。誰でも一度くらいは山頂から麓の景色を見たことがありますよね?
どうでしたか?
綺麗でしたよね?
山の上から見る景色は、海も林も街もビル群も全てがとっても綺麗に見えたと思います。
それが仏の視線。
そして、私達は皆、そうゆう気持ちで生まれてきてそうゆう視線で全てを見ていた。そのことを忘れない、時々思い出してください。
人として生きていく事は、山頂から麓まで一歩ずつ下山することに他ならないのです。麓は人間の世界。大人の世界ということです。
そこにはごみが散らかり汚れがこびりついた海や街があります。
でも忘れないでください、仏から見たら(山頂から見たら)そんな世界も全てが美しいのだということを。
「精神」という言葉があります。
身体の対になる心のことです。
「精」の字は、かつて「清」と書きました。
つまり、誰の心の中にも「清らかな神」が宿っているということ。
そのことをベースに生きていくと、今までよりもっと生きやすくなるのではないでしょうか?
夢の実現や成功に向かうまでには(これは下山している途中ということ)様々な事柄に出会います。
障害と思われる事もたくさんあるでしょう。
でもそれらはただそこにあるだけ、良くも悪くもないということ。
あなたはその障害を脇に逸らせることができそうならちょっと横へどけたらいい。大きすぎて重すぎて動かせそうになければあなたが回り道をすれば済むことです。
受け止め方によって生きやすさは変わります。
そうして目の前にあることをひとつひとつ、ただ誠意をもって対応するだけでよいのです。その繰り返しでいつの間にか私達は麓へ辿り着いているのです。それが夢が叶うということ。
ただ重要なのは夢や目標ははっきりと心に刻む事です。
どこに向かって下山しているのか、それだけをはっきりとさせておく、強く願う。それだけで良いのです。あとは清明心をもっていればかならず辿り着くのです。
すごくわかりやすく言うと、「トイレに行きたい!もれそう!」となったら、そこがたとえ初めて来た異国の地であっても、あなたはどうにかこうにかトイレを見つけるものでしょう?
たとえ途中で携帯が鳴って、全然関係ない話をしながらでもトイレを探し続けているでしょう。
本当に必要な事、強く想うということはそうゆう感じで実現するものなのです。
どうでしょうか?
やっぱり私からでは伝わりにくいかもしれないですね~
上月マリア先生にご興味をもたれた方は是非調べてみて著書の1冊でも読んでみてください。
ちなみにマリア先生、世が世なら「お姫様」です。古来からの名家のご令嬢で、幼き時より帝王学を学び、世界中の著名人とご交流のある方です。ローマ法王より福音書を授かった方でもあります。
はっきり言って住む世界の違う方ではありますが、ご本人曰く、「私はエレガンスな吉本系でございます」とのことです。
とっても気さくな、それでいてお目にかかるとやはりそれだけでこちらの背筋がピンとなる方です。
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